全国のサッカーショップKAMOのお客様の中から、特に際立ったナイキ ファントム愛好家(=PHANTOM FREAKS)の方に直接コンタクトし、サッカー遍歴を聞き出すシリーズ企画。

第二弾は大学卒業後に海外へ挑戦し、現在は小学生を指導するコーチ。
ファントムを着用し続ける理由と、常に挑戦し続けるサッカー人生について聞いてきました。

小泉 佑樹Koizumi Yuki

柏レイソル青梅ジュニアユース
瑞雲中学校
前橋育英高等学校
玉川大学
CD Masnou(スペイン)
Mar Menor FC(スペイン) 年間ベストイレブン
PEPO(フィンランド)
Nybro IF(スウェーデン)
Mar Menor FC(スペイン)
バリオーレ日の出
UEFA Style Football Academy

  • PHANTOMとの出会い

    ー本日はよろしくお願いします。
    早速ですが、日本有数、いやもしかすると世界でも有数のPHANTOM FREAKの小泉さんに、まずはファントムを着用するようになったきっかけを教えていただけますでしょうか。

    僕は大学以後ナイキのスパイクを着用し続けています。最初はマジスタだったと思います。何故マジスタだったかと言うと、一番値段が高かったからです(笑)。ずっとお世話になっている方に『良いものは高い』と聞いたことがあり、自分が人生を賭けて挑んでいるサッカーにおいて、最も重要な武器の選択で妥協はしたくなかったので、スパイクについては特にその言葉を忠実に守ってたと思います。

    もちろん高くても足に合わなければどうしようもないですが、サッカーショップKAMO原宿店で試履きさせてもらって、踵からつま先までめちゃくちゃフィットして、もう絶対これだと思い、それから履き続けています。

    ファントムを最初に着用したのはファントムビジョンです。
    大学卒業後スペインに渡る時に勝負靴として持って行きました。
    僕がファントムを気に入って履き続けた理由は、トラップした時のピタッとくる吸い付きの良さが一番かもしれないです。軽さを追求して薄いアッパーで素足感覚を実現しているスパイクもあると思いますが、僕はファントムのアッパーが一番しっくりきます。

    実は海外で挑戦している時、人工芝ではファントム。天然芝ではマーキュリアルのスーパーフライを着用していました。マジスタを天然芝で着用した時にちょっと滑る感覚があったんです。その意識が残っちゃってて、スタッドが丸型ではないマーキュリアルを選択していました。

    でもアッパーはやっぱりファントムが好きなので、新しいファントムGXのFGのスタッドは丸型では無くすごい芝を噛んでくれそうなので、これが以前からあれば天然芝でもファントムを着用していたかもしれないです。

  • 兄を追いかけて

    ー今お話しいただきましたが、海外に挑戦されていたんですね。海外に挑戦されるまでの小泉さんのサッカーの生い立ちを教えていただけますでしょうか。

    僕のサッカー人生において、兄の影響はとても大きかったと思います。
    兄の影響で小学1年からサッカーを始めました。強い少年団で6時半から朝練がありました。それだけでも今思うと親にすごい苦労をかけたなと思うんですが、兄と僕は朝練の前に近くの公園で5時から練習をしてました。友達はからかってその公園を「ズミグラ(小泉兄弟のグラウンド)」って呼んでました(笑)。兄は本当に練習の鬼でしたね。

    兄は大学卒業後にJリーグのクラブに入ったんですが、2年目に大怪我をしてそのまま引退しました。その後猛勉強して今は消防士をしています。変わり者だと思いますが、尊敬しています。

    僕は小学4年の時にセレクションを受けてJリーグのアカデミーに入り、中学2年までそのチームでプレーしました。ですが、地元のチームも小・中学校ともに強くて、小学校の時の関東大会のベスト4に所属していたJリーグのアカデミーチームと、その地元のチームがどちらも入っていたくらいで、一度は地元の部活チームでプレーしたいと思っていました。
    なので、中学3年に入ってから地元の部活チームに移りました。そこで都大会で優勝できたのが中学での最高成績だと思います。

    高校も兄を追いかけるように同じ高校を選びました。
    どちらかというと中学生まではどのチームでもチームの中での優等生だったと思います。それが高校に入ってがらっと変わりました。真ん中より下くらいの格付けだったと思います。同年代でこんなにうまいやつがいるんだという驚きもありました。足元の技術的に負けているとは感じなかったですが、視野の広さとか判断とかフィジカルとか、その辺りがみんなすごかったです。

    コノヤロウと思って練習しまくったんですが、でもそのうまいやつも練習しまくってて、差がなかなか縮まらなかったです。3年になってもレギュラーを勝ち取るまではいかなかったですね。でも、本当にみんなサッカーがうまくて、その後Jリーガーになった選手も多く、すごい刺激的なチームでやれて充実感がありました。

  • 海外への挑戦

    ー小学校からサッカーのエリート街道を進み、高校時代はその年代No.1とも呼ばれたチームに所属し、すごい高いレベルでサッカーに関わられていたんですね。それからはどのようなサッカー人生を歩まれてきたんでしょうか?

    大学に入り、大学のサッカー部は2年の時に辞めて、それからは社会人チームでプレーしていました。その社会人チームには怪我から復帰した兄も所属していて、初めて兄弟で同じチームでサッカーをすることができたので、そこはすごい楽しかったですね。

    大学4年生になり、普通に就職するつもりで就活をして、内定をいただいて、4月の入社を控えていた2月頃『スペインで選手を1人探しているからトライアウトを受けないか』という打診を受けたんです。大きな転機だと思いますが、二つ返事で受けました。

    4月にスペインに飛んで、2週間トライアウトを受けて、合格をいただきました。
    それから一度日本に戻り、8月にスペインに再度渡ったんですが、ちょうどスペインサッカー界全体が移籍金に対して審査が厳しくなったタイミングで、ビザが下りずに9月にシーズンが始まっても4ヶ月くらいは試合に出れずに練習だけしてました。かなり不安でしたが、ようやくビザが下りて1月頃から試合に出始めました。

    4部リーグでしたが、試合のレベルはすごい高かったです。スペインって身体能力は高くないイメージがあるかもしれないですが、そんなこと全然なくて、フィジカルもあるしもちろん技術も高くて、あとサッカーIQというかセンスというか、そういうのがやっぱりすごい高かったです。

    1年でチームを移籍し、その移籍先のチームで昇格プレーオフに出たんですが、負けちゃったんです。3試合のトーナメントみたいになっていて、2試合目まで勝って、次勝てば昇格という3試合目で負けたんです。何より悔しいのが、僕はその3試合目だけ、色々とあって出られなかったんです。でも1年で40試合くらいに出場して、年間MVPにも選んでいただいて、自信のついたシーズンでした。

    そこからフィンランドに移籍し、スウェーデンに移籍し、またスペインのチームに戻ってきて、色々な国でチャレンジしました。

  • 次の世代へ

    ーすごい経験をされていますね。フロンティアスピリットのようなものを感じます。スペインで現役生活を終え、現在は小学生の指導者としてサッカーに携わっていると思います。どのようなことを意識して教えていますでしょうか?また、今後どのようにサッカーと携わっていきたいでしょうか?

    コーチをするようになってサッカーの見方も変わりました。今まで以上に選手の特徴を見るようになりました。足が早いのにドリブルするとすごく遅くなる子もいればその逆もあります。右利きなのに左の方が強いシュートを蹴れるとか。一人一人をよく観察して、その特徴を見極めて伸ばしてあげていきたいな、と思います。

    あと、これは僕も海外に出たから言えるようになったと思うんですが、親への感謝の気持ちを忘れないように、ということを常日頃から伝えるようにしてます。僕が海外で出会った人って本当に親を大切にしてたんです。日本人ももちろん親を大切に思ってると思うんですが、それがきちんと相手に伝わるようにして欲しいと思っています。サッカーができていることは当たり前じゃない、ということを分かってもらうまで伝えます。なので、靴の踵を踏んでたりすると厳しく叱ります。

    叱るというところだと、自分がボールを取られてるのに歩いていたりしても叱ります。あとこれはこだわりなんですが、試合中に靴紐を結んでいても叱ります。「しっかり準備していれば回避できたのに、君がそうしている間、チームメイトには負担がかかっているんだ」ということはきちんと伝えます。

    逆にチャレンジしたことについては褒めます。失敗しても褒めます。僕がチャレンジ好きだったのもあるかもしれないですが、やっぱりチャレンジしている子は伸びますし、できることだけやっていてはダメ。安定を求めてしまうと成長しないので。

    僕は確かに色々なことを経験してきたと思います。嫌なこともしっかり経験しました(笑)
    この経験を子供達に繋いでいきたいです。

    僕が教えている子の中から海外に挑戦したいという選手が1人でも出てきてくれたら嬉しいです。そうしたら僕の場合は僕が所属していたチームに直接話すこともできるので、いっしょに帯同していっしょに将来を考えてあげたいです。

    小さい頃から寄り添い、海外へ出るサポートをして、その子の大きく羽ばたく手伝いができたら、それはすごい幸せなサッカーへの携わり方だなと思います。

    あと、やっぱり僕は生涯サッカー選手でもいたいです。とにかくプレーすることが好きなので、どういう形であれ、選手としてサッカーを続けられたら幸せです。

  • あと書き

    町田さんに続き2人目の取材となった小泉さん。
    記事に入りきらないほどエピソードが豊富で、なぜファントムを愛する人はこんなに個性的なんだろうと不思議になりました。

    とにかくチャレンジしてみる、そのチャレンジは未開の地であるほどワクワクする、という言葉とそれを本当に実践してきた実行力が、会った瞬間から、なんだかかっこいいな、と思わせる魅力となって現れていたように感じます。

    他人とは違う視野を持ち、卓越したスキルで試合を操るというファントムのコンセプトとまさにオーバーラップする個性の持ち主に出会えたことに、何か運命めいたものを感じる取材でした。

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